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医師紹介

たかしま内科クリニック 院長 髙島 基樹

もっと皆様の心に近いクリニックを

皆様、初めまして。この度、椎名町駅前で開業させていただきます、たかしま内科クリニック院長の髙島基樹と申します。
私は順天堂大学医学部を卒業後、大学病院から離島診療まで、様々な場面で多くの患者様を診療してきました。その経験の中で、「この患者様は、もっと早く病院に来ていれば良くなったのに。」と残念に思うことが多くありました。そういった方々に受診を躊躇した理由をお聞きすると、このような思いからでした。

「病院に行くのは緊張するし、不安だな」
「先生が怖い人だったら嫌だな、話を聞いてくれないかも」
「仕事も休めないし、面倒だな」

お気持ちはとてもよくわかります。
私自身も、患者として病院に行くのは怖いし、面倒だし、大嫌いです。
だからこそ、もっと患者様の心に寄り添い、もっと通院しやすいクリニックがあれば、皆様の健康に貢献できるかもしれない、そんな思いから開業を決意しました。

気軽に受診できる環境を作ることができれば、病気の早期発見につながります。
例えば、私の専門の一つ、肝臓領域においては、近年C型肝炎に対して革命的な治療薬が開発された一方で、NAFLD/NASHといわれる脂肪肝から気づかないうちに肝硬変・肝がんへ進行するケースが着実に増えています。今や脂肪肝は安心できない病気になりました。肝臓や隣接する、胆のう、膵臓は、症状が出る頃には進行してしまっていることが多い臓器です。少しでも不安に思ったら、先ずはお気軽にご相談していただきたいです。そして、私の専門である総合内科、肝臓内科、消化器内科という分野を軸に、疾患領域にとらわれず皆様のトータルヘルスケアのお手伝いをさせていただきたいと考えております。

「名医たらずとも良医たれ」

母校順天堂の精神を胸に、安全で最先端の医療の提供と、患者様一人一人の生活環境を考慮したオーダーメイドの治療計画を考えてまいります。
是非、一切の不安なくお越しください。よろしくお願いいたします。

院長 髙島 基樹

経歴

昭和53年 新潟県柏崎市出身
平成15年 順天堂大学医学部卒業
順天堂大学医学部附属順天堂医院内科臨床研修医
順天堂大学医学部消化器内科 入局
平成17年~19年 米国University of North Carolina at Chapel Hill, Division of Gastroenterology and Hepatologyへ留学
平成19年 順天堂大学大学院消化器内科講座卒業 博士号取得
順天堂大学医学部附属順天堂医院 勤務
平成22年 伊豆諸島・新島村国民健康保険本村診療所で離島診療に従事
平成23年~令和3年 順天堂大学医学部付属練馬病院 勤務
肝臓疾患専門外来を担当
一般クリニックで総合内科の研鑽を積み開業に至る
令和2年5月 たかしま内科クリニック 開業

資格・所属学会

資格

  • 総合内科専門医
    Fellow of the Japanese Society of Internal Medicine (FJSIM)
  • 認定内科医
    Board Certified Member of the Japanese Society of Internal Medicine
  • 日本消化器病学会認定消化器病専門医
    Board Certified Gastroenterologist of The Japanese Society of Gastroenterology
  • 一般社団法人日本肝臓学会認定肝臓専門医
    Board Certified Hepatologist of the Japan Society of Hepatology

所属学会

  • 日本内科学会
  • 日本消化器病学会
  • 日本肝臓学会
  • 日本消化器内視鏡学会
  • 日本渡航医学会

院長インタビュー

大学での最先端医療、新島村での離島医療、実家での地域医療から得た学び
「かかりつけ医」とは患者さんの人生そのものを診ること

院長インタビュー01

髙島先生のご出身は新潟で、お父様が地元の開業医でしたね。

私の出身は日本海に面した柏崎です。刈羽原発のほか、海岸線計42㎞に及ぶ海水浴場が日本の渚100選に入ることでも知られています。祖祖父が当時の西山町(現在は柏崎市に編入合併)で開業し、父の代で隣町の柏崎に移転しました。つまり、医師の家系としては私で4代目ということになります。

先生が医師になられたのは、跡を継いで欲しいというご両親の希望もあったのですか。
私の進路について両親からは何も言われたことはありません。それでも小さい頃から開業医の父を見て育ち、憧れのようなものはありました。結果として医学の道に進んだのは、私には自然の成り行きだったように思います。

院長インタビュー02

卒後、消化器内科の道に進まれたのも、お父様の影響でしょうか。
消化器の専門医だった父の影響も多少あったかと思いますが、当時の消化器内科教授の医学に対する姿勢に大変感銘をうけたことも大きいと思います。順天堂の医局では消化器領域のすべてを一通り学んだ後に、さらに臓器・領域別にグループ分けして専門性を磨くことになります。私の場合は「肝臓グループ」で研鑽を積んできました。
初期研修を終えて、すぐにノースカロライナ大学に留学されたんですね。
そうですね。当時の順天堂のなかでは、とても早い時期での留学だったと思います。これは当時の教授と現教授の勧めだったのですが、「留学の話があるが行ってみないか」という打診を頂いたときには、不安もありましたが何でも経験してみようと思い切って挑戦しました。大学院にも在籍していた私にとっては研究の延長のような感じでしたから、米国での論文で博士号を取得しました。
2010年には新島での離島医療も経験されましたね。
はい。赴任したのは新島村国民健康保険診療所という新島で唯一の診療所です。離島医療は東京都からの依頼で、各病院の持ち回り制だったのですが、たまたま順天堂の枠が回ってきて消化器内科が担当することになりました。単身赴任ですからなるべく若い独身者が望ましいのですが、周りはまだ大学院生が多いことから私が手をあげました。診療所は私のほかに自治医大と府中病院から各1名、合計3名の医師で運営していたので、3日に1回は当直勤務でした。透析患者さんもいましたので、土日も関係なく約半年弱の赴任中は不休での勤務でした。

院長インタビュー03

大学病院とは規模も機能もまるで異なる離島医療の経験からは、どんな影響を受けましたか。
離島医療で得られた影響は私には結構大きかったように思います。大学ではより高度な医療を経験することに主眼を置いてきましたし、そこに何ら疑問も持ちませんでした。ところが、人口約3,000人の新島での臨床経験は、私には大変さどころか逆に楽しさを感じました。臨床と基礎研究の配分をバランスさせながらアカデミックなポジションを目指すより、一臨床医として人の役にたちたいという気持ちが大きくなったように思います。
自院開業を意識されたのは、何がきっかけだったのでしょうか。

実家の父が脳梗塞で倒れたことが一番でしょうね。それが原因で実家のクリニックは一時休診せざるを得なくなりました。当時、私は練馬の附属病院に勤務していたのですが、父の容態を聞いて心配になり大学での常勤勤務から退き、週の半分ほど新潟に帰りクリニックを再開しました。周辺は田舎ですから都市部のようにクリニックは多くなく、地域には毎日の服薬が欠かせない慢性疾患患者さんが大勢いますから、皆さんの行き場を無くすわけにはいきません。東京・新潟半々の生活が4年以上続きましたが、移動を含めると休みは1日もありませんでした。私にはこのまま実家のクリニックを継ごうかなという考えもありましたが、残された東京での仕事や生活もあり、苦渋の決断でしたが、両親と話し合ってクリニックは閉院することとなりました。

そのときも大学に戻っては、というありがたいお誘いもいただいていましたが、私の関心や医師としてのやりがいはすでに地域医療にありました。現在の教授とも相変わらず良好なお付き合いをさせていただいており感謝の念に堪えませんし、現在も引き続き週1回の練馬病院で外来を担当させていただいております。

そのような色々な経験を通して人としても成長できましたし、周りの方々の御協力や後押しもいただけたので自院開業を決意しました。

開業ではどこに先生の強みを発揮しようとお考えでしたか。
総合内科専門医として、高血圧・糖尿病・高脂血症などの一般内科領域を広範に診られる「かかりつけ医」をベースに、とくに肝臓疾患に専門性が発揮できることだと思っています。順天堂を始めとする連携先との良好な関係もスムーズな紹介に活かせると考えています。

院長インタビュー04

先生の目指される医療を実現するために、スタッフに期待するスキルはどういったことでしょうか。
患者様をよく観察して、当院に何を求められているのかを考えて主体的に行動して欲しいということです。私の指示や共通のマニュアルではなく、自身の感じたままにやっていただきたいと思っています。開業以来、気づいた点があったら、いつも気兼ねなく意見を言い合っています。全員が本当によくやってくれていると感謝しています。常に不平不満はなく、前向きな意見が多く見られます。チームワークは確実に醸成されつつあると感じています。
順天堂大学で語り継がれる「名医たらずとも良医たれ」を信条にされている先生は多くいらっしゃいます。それをベースにしたとき、髙島先生は良質な地域医療をどのように定義されますか。また、今後の展望をお聞かせください。

私が長年勤務した本院の名称は「順天堂大学医学部附属順天堂医院」です。もちろん特定機能病院なのですが、あえてクリニックに多い「医院」の名称が使われています。校訓である「名医たらずとも良医たれ」の本位とするのは、開業医のような小さな医療機関の地域医療貢献の心を持ち続けるという意味が込められていると聞きました。

地域医療を定義づけるのは難しいのですが、私は患者様の人生そのものを診ることではないかと思って診察しています。医学的に目指す成果や目標は一緒なのですが、その道程には個人差があっていいのではないかと思っています。その患者様がこれまでどう育ってきたのか、どういう考えをお持ちで、今後はどうありたいのか、そうした個々の人生の背景を知り、汲み取っていくことから信頼関係が生まれてくると思っています。大きな病院と違って一刻を争うような疾患は少ないので、クリニックという時間軸のなかで自分の裁量を発揮できることに喜びを感じていますし、クリニックにおける医師と患者さんの距離感を大事にしていきたいと思います。
今後、地域の皆様にとって、当クリニックが特別な場所ではなく、生活の一部としてあり続けるものになれれば幸せですね。